幽霊への批判

小林多喜二の「党生活者」をめぐって、研究者の島村輝さんと、評論家の北村隆志さんとが、興味深い論文を書いています。島村さんのは、至文堂から出た『「文学」としての小林多喜二』というムックに収録されたもの、北村さんのは、『民主文学』2月号に掲載されたものです。
いずれも、「党生活者」が、作者の経験を書いたもののように読まれてきたことを批判し、そうではない読み方を提示しようとしています。発表の順序からいって、北村さんが島村さんの論文を意識していることはまちがいないでしょう。
前にも少し書いたかもしれませんが、作品の中のエピソードを理由に、作者を批判したのは平野謙が最初だったと思います。「ひとつの反措定」だったかな。冨山房百科文庫の『島崎藤村・戦後文芸評論』(1979年)で読みました。
それに対して、作者の非合法活動時代を知る仲間たちは、作者は作品の「私」ではないという観点からの、平野批判をしました。宮本顕治しかり、手塚英孝しかり。それはその人たちには当然のことだったのでしょうが、問題はその先にあります。
そうした、当時を知る人からの批判を、逆に『多喜二は無謬であった』『「党生活者」の「私」は無謬であった』というとらえかたをして、反批判をすることが、各方面にあったのではなかったかと思うのです。というのは、至文堂のムックのタイトルに象徴されるように、[今までの多喜二評価は〈「文学」の観点〉ではなかったのだ]、といいたい人がいるように思えます。それに対して、[私はちがうんだ]、というような態度が、至文堂のムックに収められた論考の中に存在するように思えるのです。(以前にも解せないという意見を書きましたが)
どうもそういう論考は、ためにするものではないかと思うのです。[〈「文学」の観点〉ではなかった評価]なるものを仮構して、それを批判することに自分の論を見出すというのでは、不毛な感じがします。もう少し、きちんと、実のある議論をしなければいけないと思います。(うわさや、文学外の世界のことは知りませんよ。書いたもののなかでの話ですからね)

(補足します)もちろん、かつての言説のなかに[〈「文学」の観点〉ではなかった評価]がまったくなかったということを言いたいのではなく、今の時点でそういうことをするのが不毛だということなのです。それも、文学にかかわっていることを自覚している人たちの間に、そうした観点をもちこむことへの問題だと考えてください。