素顔と演技

菊池寛新潮文庫藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(文庫は1970年刊行)です。
その中に、「ある恋の話」という作品(この文庫には初出に関するデータがないのでいつのものなのかはわかりませんが)というのがあって、ある女性が、離縁されて子どもとともに暮らしているときに、芝居を見に行って、ある役者に惹かれたのだが、その素顔を知ってしまうと、役者個人には興味がなくなってしまうが、彼の演ずる人物には関心を抱き続ける、という話なのです。
きっと、大正時代の、私小説流行に対する作者の批判からうまれた作品であろうとはすぐに気がついたのですが、そうした、小説の中に描かれたことを、すぐに作者そのものとして毀誉褒貶してしまうという悪癖は、わかってはいるけれど、なかなか抜けられないものなのかもしれません。
昨日の記事の、小林多喜二についても、そうした癖からの脱却が今の課題だということが、研究者や評論家のなかで共有されているということなのでしょう。
もちろんそれは、書く側にもいえることでしょう。「これは実際にあったことだから」といってすませる作品では困るのです。実体験がモチーフになることは否定しませんが、(菊池寛にしても、「入れ札」という作品は、実体験を国定忠治の世界にふりかえて書いたものだと作者自身も言っているようですし)それを作品に仕上げるときのある種の〈しかけ〉が問題なのでしょう。