自由席

今年のセンター試験の小説は、佐多稲子「三等車」です。初出は1954年1月の『文藝』だそうです。
語り手は、仕事で東海地区へ行くようで、とりあえず名古屋まで東海道線を利用するために、12月なかばの東京駅に行き、鹿児島行きの急行列車に向かいます。語り手は闇で着席の権利を買います。先に仲間が乗車して席を取っていて、そこにお金を出す客を案内するという形のようです。そしてすわっていると、満席になってから乗りこんできた親子がいます。母親は3歳くらいの男の子と、お誕生くらいの乳飲み子を連れています。父親は車両には乗りこんだのですが、すぐに下車します。家族をいなかに帰して、自分は東京で働こうというのです。彼一人の収入では、家族全員を物価高の東京で養うには足りないのでしょう。家族のありようを、汽車のなかでのエピソードを連ねながら描いていくのですが、発車してまもなく、母親は子どもに飲ませるミルクをつくろうとすると、座っていた人が少しずつずれて、場所をあけます。そして、乳をあげるときに、母親はそこに座って、3人掛けのような状態になります。
今の新幹線では、こうした姿はもう考えられないように思えます。その点で、時代を感じさせる作品だとはいえるでしょう。

ところで、鹿児島行きの急行で、作品発表が1954年1月となると、この列車、福永武彦の「死の島」で相馬が乗りこむ12時35分東京発の急行〈きりしま〉の可能性が高いように思えます。「死の島」の記述によれば名古屋は18時33分着のようです。(河出の単行本には列車の時刻表がはさみこまれていたのですが、新潮社の全集にはそういうのがないので、小説内の記述でみるしかないですけれど)相馬が乗ったのは1954年1月23日の土曜日で、列車は最後尾の3等車には4人掛けがまるまるあいていたところがあったということです。佐多作品の12月半ばとは、込み具合がちがうのですね。鹿児島までは、もちろん24時間以上かかります。実際、全線電化された1973年にも、急行〈桜島〉は24時間以上かけて東京から西鹿児島まで走っていましたから。