関心の向き

原武史さんの著作を三つ続けました。『「民都」大阪と「帝都」東京』(講談社選書メチエ、1998年)・『増補 皇居前広場』(ちくま学芸文庫、2007年)・『昭和天皇』(岩波新書)です。
この三つの著作、著者の関心は昭和天皇に向かっています。それは、山田朗さんが『大元帥 昭和天皇』(新日本出版社、1994年)で明らかにしたような、軍事的な指導者としての天皇ではなく、祭祀や国民統合という、イデオロギーの場としての天皇制のありかたを考えようとしています。ですから、戦争末期の、近衛文麿がもう戦争をやめようと主張したときに、もう一度戦果をあげてからといってしりぞけたエピソードも、母親の貞明皇后が「神がかり」的な状態になっていたこととの関連として原さんはとらえます。
そうした、『祭祀をつかさどる』という観点からの天皇についての論考は、それを補強する事実の分析からきているので、昭和天皇という姿を考えるときには、ひとつの方向性としてみていくことではあるでしょう。それがすべてだということはできませんが。
前にも、たしか『滝山コミューン1974』(講談社)についてふれた(2007年6月6日付)ときに、彼とは1973年4月1日の武蔵野線開業の日に、ひょっとしたらどこかですれちがっていたかもしれないと書きましたが、そういうくらいの、いろいろな意味での「近さ」を感じます。他にも、〈無限カノン〉三部作で「皇太子」を登場させた島田雅彦、雅子皇太子妃の問題を考えた福田和也香山リカ、こうした同世代のひとたちの天皇に対する感覚には、どうしても、浩宮(「ひろのみや」で変換かけても出ませんでしたよ)徳仁親王(「なるひと」は変換できました)と、ほぼ同世代だということがあるような気がします。ある意味、〈明仁皇太子一家〉が、〈家庭〉のモデルとして機能するように世論がつくられるわけですが、そうした情報の中で育っていったことが、意識の底にあるのではないかと感じることもあります。そこがわからなくもないのですが、そうしたことをふまえて、今後の皇室のありかたは考えられなければならないのでしょう。