長いものに

昨日、NHK総合で放映された、翼賛選挙に関するドラマを観ました。
『昭和史の瞬間』(朝日新聞社、1966年)をみると、ドラマでは裁判長は実名ですが、それ以外の、ドラマで仮名になっていた人たちが、どのように推薦候補を押し付けていたかが書かれています。
もともとこの選挙(1942年4月に行われました)では、鳩山一郎尾崎行雄のようなひとも非推薦とされたとか、浅沼稲次郎は立候補自体を断念したとか、そうしたいろいろなことが、全国で行われたようです。ドラマになった、鹿児島では、前回(1937年4月)に最高点だった候補が、非推薦とされ、前回票の4分の1に減ったというのです。干渉の事例が書かれていましたが、そこに、「特高課長・原文兵衛」が、区長に命じて約700人を集め、演説をして、映画を上映し、推薦候補を当選させるべく圧力をかけたという事例がありました。この人は、戦後参議院議員をつとめ、参院議長になったひとでしょうか。
鹿児島の再選挙では、干渉の結果落選した候補も、当選にはいたりませんでしたが、前回の得票を倍増させたそうです。
なお、この翼賛選挙で当選したひとは、1946年の総選挙まで、公職追放にならなければ、衆議院議員だったわけですね。尾崎行雄三木武夫とか、その後も連続当選した方もいらっしゃるようです。
それにしても、選挙無効の判決を下した裁判長が、直後に退官したというのも、考えさせられるものがあります。