今に続く

『松田解子自選集 第8巻』(澤田出版、2008年)です。
この巻は、ルポルタージュに属する作品を収めています。古くは1936年の秋田県尾去沢鉱山で起きた、鉱滓流出事故の現地取材ルポもあるのですが、圧巻は、松川事件の被告を救援するための活動のなかで書かれた、松川被告のたたかいを描いた多くの文章です。
松川事件は、ご存知の方も多いことでしょうが、列車転覆の罪を着せられた被告たちが、長年にわたる裁判闘争をへて、最終的には無実であることを立証させたわけで、そのなかで、宇野浩二広津和郎のような、作家たちも被告たちを擁護する立場から論陣をはったということも、知られていることでしょう。
この事件、もし裁判員制度をあてはめるなら、それこそ「3日」で結審させられてしまうわけで、そうなると、ほんとうに裁判が真実に迫ることができるのかということに対して、疑いをもたずにはいられません。
平野啓一郎の『決壊』でも、犯人と疑われた崇という被害者の兄は、やっていないにもかかわらず、拘禁状態のなかで「自白」しそうになってしまうという場面が描かれているように、人間は必ずしも強いものではありません。(鹿児島県志布志町でも、「選挙違反」事件がありましたし)そうした中で、「裁判員の負担を少なくする」とかいうことを名目にして、裁判が「すばやく」行われることは、「自白」に頼る捜査を助長することにならないでしょうか。