時空をこえて

藤田勝久さんの『司馬遷とその時代』(東京大学出版会、2001年)です。
司馬遷がたどった足跡をたずねながら、『史記』の成立について考えた、一般書に属するものです。
土器をつかう社会という面では、日本列島も、中国大陸も、紀元前7000年ぐらいには、そんなに大差なかったでしょうに、そのあとの展開のちがいは、ある意味、驚くべきことなのかもしれません。文字を発明した中国は、日本が弥生時代にはいろうとするころ、すでに簡単な国家ができ、春秋戦国の思想の発達もあったわけです。
そうした思想の、ある種のまとめとして、『史記』は考えられるのかもしれません。司馬遷アリストテレスにたとえた、川勝義雄さんの文章が、今年の東京大学の後期入試の問題に出題されましたが、藤田さんも、司馬遷の意識の広さについて言及しています。『史記』を列伝中心にとらえるのではなく、全体をみるということは、ほかのことにも適用できるかもしれません。
今でも、司馬遷のお墓には、お参りする人が絶えず、現地では神様のように祀られているとのことです。