王様は裸

サルトルのものを少しかじっているのですが、(付け焼刃です)その中での雑感。
『嘔吐』の新版(人文書院、1994年)の訳者、白井浩司さんの「あとがき」は、戦後のサルトルの動向に対して、とても厳しい評価をくだしています。たしかに、ソ連に対する評価の甘さはあるのでしょうが、ノーベル賞を辞退したときに、ノーベル賞が「偏っている」ということをいったことは、後世から見て評価していいことではないかと思います。
ロシア語作家の最初の受賞がブーニンで、次にパステルナークというのは、どうみても、ある種の意図が感じられなくはないですし、サルトルが辞退したあとで、ショーロホフやアストゥリアスネルーダと受賞したのも、サルトルの「批判」が少しは影響したのかもしれません。(アラゴンは受賞せずに亡くなりましたが)もちろん、中国語作家が高行健だけというのも(アジア作家がほとんどいないこともありますが)、釈然としないものがあるので、まだまだ考える余地はあるのでしょう。

どこかの新聞で、五木寛之さんがソルジェニーツィンについて書いていて、その中でかつてソビエトロシアを理想化していたけれど、実際にソ連に行くと、その体制が虚妄のものだと理解したということを書いていました。戦後すぐには、そうした見かたもけっこう浸透していたのでしょう。高杉一郎さんのどこかで見たのですが、シベリアからかえってきた高杉さんが、宮本百合子のところを訪問して、ソ連について話をしていたら、隣室にいた宮本顕治さんがいきなりふすまをあけて、「スターリンの悪口をいってはいけない」という趣旨のことを語ってふたたびふすまをしめたとかいうエピソードがあったそうです。関係者全員が既に亡くなっていますから、今となっては笑い話のレベルなのかもしれませんが、あれだけソ連と対立したひとでさえ、当時はそうだったわけですから。