残酷

天野郁夫さんの『増補 試験の社会史』(平凡社ライブラリー、2007年、親本は1983年)です。
明治時代の日本の教育の中で、「試験」がどのような意味をもったのかを、学校の進級のなかでの問題や、医師や弁護士などの資格とのかかわりで考察しています。日本が急速に欧米諸国に追いつくために必要とした「知識」の内容が、試験による選抜を必要としたというのです。

この前、法科大学院修了者を対象とした司法試験の結果が発表されていました。合格率はだいたい3分の1ほどだというのですが、この試験、法科大学院修了後5年以内に3回まで司法試験に挑戦して、合格しないと、受験資格を剥奪され、もう一度法科大学院で学びなおさなければならないのだそうです。そうした意味づけの試験で、合格率が3分の1ということは、あきらかに法科大学院修了者が多すぎる(レベルの低い修了者がいる)ということになるでしょう。文科省なのか法務省なのかはよく知りませんが、認可だけはしておいて、合格者が出ないと「おとりつぶし」にしようというのでしょうか。それをきっかけにして、ろくでもない大学までつぶして、淘汰しようと考えているのかもしれません。それに乗っかって安易に法科大学院に手を出した学校にも問題はなくはないのでしょうが、こうして合格した人たちが、どういう形で裁判にかかわろうとするのか、また、失敗した人が、どういう人生設計をしていくのか、気にはなります。