適語

『生命とは何か』(シュレーディンガー、岡小天、鎮目恭夫訳、岩波文庫、原著は1944年、親本は1951年)です。
生物学を、遺伝の側面から、物理学や化学の分野の知見で説明していくという著者の考え方は、生命現象を科学的に分析するときの導きのひとつになるのでしょう。その点では、現在の知見からすると古くなったようなところもあるのかもしれませんが、考え方の枠組みを作った本として考えるものなのでしょう。

そうしたことはいいのですが、最初のほうで、高校時代の生物の授業を聞いているような感覚で読んでいたときに、ふっときざしたのが、「優性」「劣性」ということばは誤解を生んでいるのではないかということです。生物の時間に遺伝を習った方ならご存知でしょうが、最初の雑種で表面に出るものが「優性」、出ないものが「劣性」となります。簡単な例でいえば、ABO型血液型で、ABの因子は優性でOの因子は劣性です。ですから、A型の親とB型の親から生まれるこどもに、O型の可能性が生じるわけです。
ここで、「優劣」はそうした表面に出るかどうかの問題であって、その因子自体に、なにか価値があるわけではありません。その点では、この訳語は、いささか問題があったのではないでしょうか。「顕」「密」は変だし、「陽」「陰」というのも、何か別のことを想像させるし、「露」「隠」というのはどうか、などと思うと、学術用語の選択にも、注意をしなければいけないようです。
かといって、最近のように、もとのことばを安易にカタカナにするのも、それもなんでしょう。