あとは野となれ

司法試験の合格者の割合が、全体で3割台だそうです。
移行期間もおわって、法科大学院を修了しないと受験資格がなく、それも修了後5年のうちに3回しか受験機会が与えられず、そこで合格できないと、ふたたび法科大学院に行きなおさなければならないシステムに変わって、このありさまです。さすがに、合格率の悪いところには、補助金を減らすという方向だそうですが、それならば、最初から設置を許可しなければいいのでしょう。せめて、医師の国家試験の合格率くらいにはしないと、いけないのではないでしょうか。
それで、合格して司法修習生になっても、給費制度はなくなるし、このような状況で、司法が三権分立のひとつの柱として機能するのかとも思ってしまいそうになります。
それでも、司法は、正義と道理にもとづいて、公正な立場をとってくれると思うからこそ、社会は機能していくはずなのに。
シリン・ネザマフィの「サラム」が、集英社の『コレクション戦争と文学』に収録されているのですが、そこでも、難民認定のために努力する弁護士でも、国策には批判の目を向けられない存在として描かれてしまう、ということにもなるのでしょうか。