単純化

ドラマ「坂の上の雲」、いよいよ日本海海戦というところですが、李舜臣に祈った水兵も出てこないし、八重山バルチック艦隊を発見して電報を打てる島までふねを漕いだ青年たちもでてきません。そういう意味での期待はずれという感があります。
いわゆる敵前回頭といえば、レイテ海戦のスリガオ海峡で日本軍を待ち受けていた米艦隊を思い出すのですが、結果的にいえば、「大和」「武蔵」に戦艦らしいたたかいをさせるのなら、こちらに突入させればよかったのではないかとも思うのです。「山城」「扶桑」のような古い型の戦艦ではなく、新鋭のふねを使えば、航空機による沈没にはならなかったのではないかと。結果的に、最後の戦艦のたたかいになってしまったわけですし。
ドラマにもどりますが、近代火器に対して、生身の「馬」の運命を感じてしまいました。戦車や装甲車でなければ、機関銃部隊には対抗できません。騎兵そのものが、時代遅れの戦術であることを、日露戦争はあらわにしたのです。にもかかわらず、日本軍はその後も馬を大切に扱い、〈白馬に騎乗する大元帥陛下〉にはじまって、トラック島にまで馬を連れて行ったとかいう話です。マレー作戦の〈銀輪部隊〉にしても、パルチザン部隊が当時展開していれば、かっこうのエジキではないですか。
そうした〈ずれ〉を生みだしたことも、忘れてはいけません。