距離をはかる

『岩波講座日本語 1』(1976年)です。
出た当時は高校生だったので、全巻買うというわけにもいかなかったか、この第1巻は図書館で借りた記憶があります。
この前、古本屋の一山100円のところにバラで出ていたので、買ってみたのです。
言語研究の歴史もそうですが、ひとがことばを自覚するのは、他の(時間的にも、空間的にも)ことばとの接触が必要なのでしょう。そうすることで、みずからのことばに意識的になれるわけです。
日本語の場合、漢字という中国語のためにつくられた文字を使って、じぶんたちのことばを表現しなければなりません。漢字にあっても、日本語にはない、音の区別や、意味の差異、それは逆もあるわけです。漢字の音を研究することで、古代の日本語の音も推定することができる、そうした研究が18世紀あたりから本格化します。宣長が漢文を上手に使えたことは、かれが古事記の音表記を研究するときのたよりにもなったわけです。
周囲に同系のことばがない日本語だから、それだけ他の言語を知ったときの、みずからへの反射は鋭くならねばなりません。それはことばだけではないでしょう。