祭日。陰。

永井荷風が、この文字を日記に書き記したのが、ちょうど50年前の4月29日です。翌朝、通ってきたお手伝いさんが、すでに絶命していた荷風を発見したのだそうです。
荷風といえば、「花火」という作品(1919年)の中で、大逆事件をきっかけに、自分は江戸の戯作者のように韜晦して生きるのだという趣旨のことを書いたことで知られていると思います。「花火」のラストは、労働者が組合の旗をかかげて行進するのをみる場面なのですが、それをみて、荷風はこう書きます。「目に見る現実の事象はこの年月耽りに耽った江戸回顧の夢から遂にわたしを呼覚す時が来たのであろうか。もし然りとすればわたしは自らその不幸なるを嘆じなければならぬ」(引用は岩波文庫の『日本近代文学評論選 明治・大正篇』(2003年)からです)
日記の中で時流批判をはばからない荷風への道は、このときにきざしたのでしょうか。90年のときを経て、あらためて、荷風の生き方を、「江戸回顧の夢」とは違った角度でみなければいけないのかもしれません。