行ったりきたり

いろいろと、とりとめもなく。
前にも何度も書いていますが、江戸時代のひとたちには、それ以前の戦国のいくさのなかで、いくさが無意味であること、それは悲惨以外のなにものでもないことを認識して、その上に立って政治をやっていたような気がします。文学の世界でも、いくさの悲惨さをはっきりと打ち出している作品が多いように思えます。
ところが、なぜ近代の日本は、膨張することを国是としてしまうかのような思考をするようになったのかを、よく考えてみたいと思います。
中国や朝鮮に対して、見下すような態度をとっていったのはなぜかということですね。
そうした思考は、いまの『自己責任論』の横行にも、つながるものがあるのかもしれません。