共同

大久保利謙明六社』(講談社学術文庫、2007年、親本は1976年)です。
文明開化の時代、新しい国づくりのためには、知識人たちに国家のために働いてもらう必要がありました。それこそ、内戦に勝利して政権をとった新政府側には、自分たちの政権が正統性をもつには、敗北した側の人びとを取り込む必要性もあったでしょうし、国民統合の必要性を感じていたことでしょう。
そこで、在野の知識人をあつめて、啓蒙にあたってもらうという発想が出てきたのでしょう。森有礼が最初にいろいろな人に声をかけ、西村茂樹宮本百合子の祖父ですね)も賛同して、明六社が発足したということです。
そうしたいきさつや、社の活動を、当時の史料をじかに引きながら説明した入門書とでもいえるでしょうか。
植木枝盛も、社の主催する演説会にもよく参加していたということで、当時の先進的な思考をもつひとが、通過するものだったといえそうです。それは、戦前の日本が、旧制高校的な教養時代を通過した人たちが、左右にかかわらずに指導的な立場になるしくみになっていたことの、萌芽だったのでしょう。