まだまだあるのに

石黒米治郎さんが亡くなられたそうです。
戦後、労働組合運動が活発になったときに、組合が文化サークルをつくることがよくありました。その中には文学のサークルもあり、そこで生まれた書き手が、新日本文学会などに参加して、文学運動の担い手になることも多かったようです。小沢清・熱田五郎・浜田矯太郎・大橋喜一などの名前が出てきますが、石黒さんも、そこにかかわった人たちの中にはいっていました。
以前、研究会だったかで、雑誌『勤労者文学』とも関連づけて、その時代の労働者出身の書き手のことを取り上げたとき、後日石黒さんから電話をいただいて、そのころのお話を聞いた記憶があります。
その後は長く記者をされていたようで、竹本賢三さんの作品集に解説を書かせていただいたとき、『民主文学』に載った竹本さんの追悼文をみて、それが同僚だった石黒さんの手によるものだったことをあらためて認識しました。
今のうちに、残しておかなければいけないものがあるように思います。