熱気

石母田正『続 歴史と民族の発見』(東京大学出版会、1953年)です。
1952年のメーデー事件のころの、著者の論文やエッセイを集めたものです。講和条約と安保条約が、日本を従属国にさせたという観点が、当時広く言われていたことがわかります。引用されている阿部知二の文によれば、阿部はメーデーの行進を『五・四運動のようだ』と感じたそうです。

また、当時の〈国民的歴史学〉の動きにかかわっての文章も収録されているのですが、その中で著者は網野善彦が鶴見の労働学校で講師をやったときの経験をつづったものを引用しています。網野はのちに、当時の自分の行動をほぼ全否定しているようですが、このときの網野がもった、労働者に対してどう働きかけることで学問の成果を広くみんなのものにしていくのか、という問題意識は、網野のなかにずっと続いていたようには思えます。

4月28日に講和条約が発効するというスケジュールにしたのは、次の日の〈天皇誕生日〉をにらんでのものだったのでしょうか。そんなことも考えてしまいました。