でも足りない

『序説 転換期の文学』(森山重雄、三一書房、1974年)です。
著者(1914-2000)は都立大学の教授をつとめた人のようです。この本では、プロレタリア文学運動の運動史に焦点をあてています。どちらかというと、欠点を明らかにするというのが著者の立場のようで、当時の議論の不充分さを論証しようとしているようです。
たしかに、労芸・プロ芸・前芸と組織が分裂してしまったことはよろしくないことでしたし、そういうところにエネルギーを注いでしまったことは、消耗を呼んだだけではあるでしょう。
けれども、当時のプロレタリア文学運動が、『大衆』への上からのもちこみを考えていたというだけでは、やはり足りないような感じがあります。『芸術の大衆化』は、創造・鑑賞主体としての大衆という視点をもたなければなりません。そうでないと、文化運動における鑑賞団体は位置づけられないでしょうし、創造団体でも、新しい創造の主体をつくる方向には進みません。著者の考察も、そこまでは届いていないようにみえます。