砂上の楼閣

上田誠吉『昭和裁判史論』(大月書店、1983年)です。
治安維持法とその運用に関して、自由法曹団の弁護士たちがいかにたたかったかを中心にして、法を運用する側の恣意的な対応に関しても論じた論集です。
三・一五と四・一六事件の被告たちは、統一された公判をかちとりました。もちろん、そこには、検察・裁判所の側も、この公判を『決戦場』と位置づけ、被告たちの世界観を打破しようと準備して臨んだこともありました。そこでのせめぎあいは、被告たちのなかに、第二審の段階で今までの世界観を放棄して権力に屈服した人が現れたにせよ、やはり記憶されるべきものでしょう。それはともかくも、大日本帝国憲法のもとでの法秩序のなかでの、裁判という争いだったのです。
ところが、その後、この公判で被告を弁護した弁護士たちが、治安維持法の『目的遂行罪』に当てはまるとして逮捕、起訴されるにいたるのです。統一公判のために裁判の速記録をつくった(そうしないと、他者の陳述を検討できませんから、裁判所の認めた速記録づくりでした)弁護士までつかまえるのですから、そこには秩序も何もありません。この段階で、日本は法治国家とはいえなくなってしまったのではないでしょうか。そんな憲法の時代にもどすわけにはいきません。