外から

アン・アリスン、実川元子訳『菊とポケモン』(新潮社、2010年、原題はMillennial Monsters、2006年刊)です。
外からどう見られるのかを日本人ほど気にする国民はないと、どこかで聞いたような記憶がありますが、この本は、日本発の文化が、アメリカでどう受け止められているのかを、日本での状況とからめて書いています。
最初は日本発の特撮レンジャーものも、戦っているのはアメリカ人だというようにしたり、ポケモンでも人物名はアメリカ風にしたりと、受け入れられるためにいろいろと工夫を凝らしていたのだそうです。
その中で、あれっと思ったのが、こういう記述です。訳者のあとがきの中ですが。

米国の子供向けのTV番組や映画では、悪い敵をスーパーヒーローがやっつけて、美しくかよわい女性を救って結ばれ、ハッピーエンドとなるストーリーが長く一つのパターンだった。ところが二十世紀末に米国に上陸し、たちまち記録的な人気を博したポケモンは、誰がヒーローなのかもわからないし、敵が必ずしも悪とは限らず、最後がハッピーなのかどうかもあやふやというストーリーラインだ。米国の大人たちにはとらえにくい、日本のポップカルチャーの基盤にある「やさしさ」や「かわいらしさ」という要素に子供たちが夢中になることに、米国では一抹の不安があるという。そんな「日本的な」ものに幼いころからふれることで、米国の子供たちが骨抜きにされてしまうのではないか、という不安だ。

アメリカは常に正義の側にたつという、素朴な感覚が通用しなくなることへの恐れがあるというのです。日本への多少の過大評価もあるとは思いますが、たしかにデスラー総統ではありませんが、敵キャラに人気が集まるというのも、日本的なのかもしれませんね。判官びいきということばも昔からありますし。