道半ば

黒岩比佐子さんの『パンとペン』(講談社、2010年)です。
堺利彦の生涯を、売文社時代のことを中心に追ったものですが、堺自身の生涯もなによりですが、その周辺の人たちの行動にも目を配って、いろいろなエピソードを掘り起こしています。この前ふれた児玉花外は、堺が土井晩翠を評価していないという理由で堺とはあまり交際がなかったとか、片山潜は堺が後輩の面倒をよく見たのに対して、あまりそうした援助などしなかったので、けちだと思われて当時の仲間からは評判が悪かったとか、そうした話題が、あちこちにあります。
堺が亡くなったのは1933年の1月なのですが、実は、1931年12月に、当時彼は〈全国労農大衆党〉という、無産政党の指導者だったのですが、〈満州事変〉に対して、その党の人たちがあまり反戦闘争に積極的ではなかったことに激昂して倒れ、そのまま闘病生活にはいって亡くなったのだそうです。
堺は、1922年に最初に日本共産党が結党したときにはメンバーに加わっていたのですが、その後党からは離れ、労農派の重鎮として非共産党の立場にいました。けれども、〈満州事変〉のときのこの態度をみると、もし彼が倒れずに、属した党を反戦の立場にたたせることができたなら、新しい統一戦線の可能性もあったのかもしれません。
当時の社会民主主義政党の多くは、〈満州事変〉を是としました。それがもし違っていたらという仮定は、まったく無意味ではないでしょう。

著者の黒岩さんも、あとがきによれば、すい臓がんがあちこちに転移した状態でこの本を書き上げたそうです。上梓後まもなく、亡くなられました。結果的に、最後の著書になったのです。