虚構の節度

大河ドラマが日本人の歴史認識の一端をつくっているのではないかと思うときがときどきあるのですが、昨日も、秀勝と江が炭の配達にかこつけて軟禁中の利休を訪れる場面で、直江兼続が(それと明示せずにかぶとのしるしでわからせる演出でしたが)登場したとき、これはどうかとも考えてしまいました。
もちろん、秀勝と江が利休を訪れること自体が、事実とは考えられませんから、そこで何を演出しようが、ドラマ上の〈おふざけ〉だといえるのでしょうが、そう思って観ている人ばかりではないのでは、と気にはなります。