頭かくして

尾崎秀実『ゾルゲ事件 上申書』(岩波現代文庫、2003年)です。
ゾルゲとともにスパイだという容疑で収監された尾崎が、いわゆる〈転向手記〉として書いた、二つの文書を収録しています。こうした〈手記〉のむずかしさは、どこまでが本当に変わったのかが、よくはわからない点です。とくに、尾崎は死刑に処せられたわけですから、このなかで、日本の伝統への回帰を、みずからの先祖を媒介にして行ったこと(それこそ平田流の神道家だったようです)が、どこまで本心だったのかは問われるべきかもしれません。その中でも、ドイツが日本より早く戦争から脱落しそうだとか、戦後には米英とソ連とが覇権を争い、ポーランドチェコ・ユーゴはソ連側、ギリシアはイギリス側というような、勢力圏の線引きを予見するところ(はずしたのは、アルバニアが西側につくだろうというくらいです)は、さすがに国際情勢の分析力は衰えていません。そういうところにも、何かはあらわれているのでしょう。
もし、尾崎が戦時下を生き延びていたら、近衛のブレーンだったわけですから、そのあたりの動向も変わったかもしれません。

この〈手記〉は戦時下に当局によって印刷されて流布されたのですが、その〈はしがき〉の中に、国際主義と民族主義との関係について興味深いと、当局の人がかいているのですが、そこに、〈岡野こと野坂も、延安でコミンテルン解散に際し……〉として、野坂参三が延安で述べていた〈日本共産党の民族化〉ということばと比較して論じています。岡野が変名だということは、この段階(1944年末のようです)で、すでに周知の事実だったのでしょうか。