そんなに変わらない

坂本勉さんの『ペルシア絨毯の道』(山川出版社、2003年)です。
輸出産業としてのじゅうたんのありようを、送り出す側、受け入れる側、とそれぞれの立場からさぐったものです。
じゅうたんには、イラン風とトルコ風と、織りかたにちがいがあって、それぞれがヨーロッパ方面への輸出を競っているのだそうです。イランは1860年代には、生糸の輸出が重要な輸出産業だったのですが、カイコの病気のためにそれが衰退し、とってかわったのがじゅうたんだったというのです。
となると、そのとき病気を免れた日本が、生糸輸出を重要な資源として、近代国家への道をあゆみはじめたのと、時期的にはほぼ同じだということになります。じゅうたんを輸入していくヨーロッパの国々にしてみれば、イランもトルコも似たようなものでしょうし、生糸を必要とするなら、イランも日本も、どちらも資源国としてみればいいのでしょう。トルコは大日本帝国憲法より早く、ミトハト憲法をつくっていますし、インドこそ植民地化され、中国や朝鮮が出遅れたとしても、トルコ・イラン・タイ・日本と、アジアの国々が当時のヨーロッパから自立をすることに関しては、差は小さかったのかもしれません。それがどうして、第1次大戦後には、日本だけが国際連盟常任理事国になっていったのか、そこを考えなければならないように思えます。