島々や

リービ英雄さんの『我的日本語』(筑摩選書、2010年)です。
リービさんの日本語経験を、小説、英訳『万葉集』のためのもの、中国訪問などのトピックを軸にひろがりをもって記述しています。
その中でも圧巻なのが、2001年の9月、カナダ経由でアメリカ入りしようとして、同時多発テロのためにバンクーバーで足止めされたときの経験です。ご存知のとおり、その体験はのちに「千々にくだけて」(2004年)という作品になりました。
このとき、崩れ落ちるビルの映像から、芭蕉のこの句が浮かんできたというリービさんの体験は、今回の津波のすがたともだぶって感じられました。芭蕉がこの句を詠んだのは、松島においてです。松島は、今回の津波での影響も受けていますし、そこにもなにか、不思議なつながりもあるのかもしれません。
ここで、このテロのとき、リービさんは、とくにどこからもエッセイなどの依頼を受けなかったと書いています。もし、そのときなにか書いていたら、この小説は生まれなかったのではないかと考えているようです。小説家とは、そういうものでしょう。なにかの社会的なトピックスに対して、すぐに反応するのは評論家の仕事であって、小説家はそのできごとを一度内面化しておかなければ書けないということになるのでしょうか。事件から「千々にくだけて」が発表されるまで、ちょうど3年かかっています。『しんぶん赤旗』日曜版の5月1日付で、平野啓一郎さんがインタビューに応えていて、今回の震災について、書かねばならないという考えを明らかにしています。すぐに、ではなく、それが熟していくのはいつか。平野さんに限らず、あせってはいけません。