清算的

和島芳男『中世の儒学』(吉川弘文館、1965年)です。
日本の漢文学の流れとして、菅原道真の時代、五山文学の時代、菅茶山の時代と、だいたい3つの時期をとるのが一般的だと思いますが、その中の、五山文学に相当する時期のことを研究したものです。けれども、けっこう著者の意見は厳しく、文学の話はほとんど出ませんし、当時の禅僧たちも、朱子学のような宋の時代の新しい儒学の流れを理解していたとはいえないとも書いています。戦国時代には、漢学は易占いになってしまったところもあるということも指摘しています。
そういう意味では、評価というよりも、弱点をあげていくことが主眼になっているような気もします。
過去の時代のことを考えるときに、どうしても未熟さがめにつくのはいたしかたないことだと思いますし、そうした弱点を抱えた結果が、その後の時代につながってゆく(現に、江戸時代の儒者は、基本的に武士や町人であり、中世の儒学を支えた公家の家も、禅僧たちも、ほとんど表面には出なくなります)わけですから、著者が、そこに着目するのは、いわば当然のことではあります。そうした、ひとつの敗北への道程として読むのがよかったのかもしれません。