かみあわない

日本思想大系『キリシタン書 排耶書』(岩波書店、1970年)を少しずつ見ています。
林羅山が、キリシタン時代の不干斎ハビアン(このころ、ハビアンは「妙貞問答」という、神仏批判の書を著していました)と論争したときの覚書が「排耶蘇」として収録されているのですが、林羅山はハビアンに、天地の形から議論を挑みます。ハビアンのほうでは、地球儀などを取り出して説明するのですが、羅山は納得しません。結局、そうしたレベルの議論で終わってしまうので、おもしろいものとは言いがたいのです。宗教の論というのはむずかしいものですね。
まあ、ハビアンもまもなく棄教し、今度は「破提宇子」という論難書を書くのですから、どっちもどっちだったのかもしれません。「妙貞問答」での、記紀神話批判も、日本の天地創造は夫婦和合の象徴にすぎない(「矛」が何を象徴しているのかは明らかだと主張します)のだというところは、面白くなくはないのですけれど。