それでも場所は

笙野頼子さんの『おはよう、水晶―おやすみ、水晶』(筑摩書房、2008年)です。
昨年末に出たものを、今ごろとりあげるというのは、少し遅すぎるようで、いささか恥ずかしいのですが、この間の笙野さんの生活と文学をめぐる状況を、エッセイ風に書いた作品といってよいでしょう。
笙野さんの作品をリアルタイムで追いかけ始めたのは、『東京妖怪浮遊』のあたりではなかったかと思うのですが、その頃にくらべると、作風も少し変わってきているように思えます。

わたくしごとになるのですが、これを読んでいて思ったのは、家を出てひとりぐらしをしている娘のことでした。笙野さんも京都で学生生活を送り、その後上京して小説家として生活して、今日にいたっているのですが、娘も(小説家にはならないでしょうが)似たような軌跡をたどるのではないかとも、考えてしまいました。昔、娘が小学校か中学はいりたてのころかに、笙野さんの『愛別外猫雑記』(集英社)のカバーに猫の写真が載っているのをみて、「読んでみたい」といったのを、「むずかしいからやめろ」と言ってしまったことがあったのですが、今なら、読むと波長があうかもしれないとも、想像してしまいそうになります。

でも、笙野さんは、いろいろと「攻撃」を受けながらも、こうして、「文学」のなかに場所を確保している、ということも大切ですね。そこには、日本文学の現状として、今後考えなければいけないことがまだまだあると思います。