古びをつける

中国古典文学大系の『書経易経』(赤塚忠訳、1972年)です。
四書五経』と呼ばれて、儒学聖典あつかいされたこれらの本ですが、実際には、後世の仮託がはいっているといわれています。
特に、書経のほうは、秦の始皇帝の弾圧によって、一度は廃滅したといわれていたのが、漢の時代に、伝承していた人が文字にしたものが、復活したのです。
しかしその後、「弾圧を逃れた古本」なるものが登場し、それが逆に「正しい」ものとして、長く扱われ、18世紀になって、ようやくそれが後世の仮託であったことがわかったというのです。
「加上」といって、論敵をやりこめるために、どんどん自分の理想の古代を古くしていくというのが中国にはあるのですが、そうした中で、古びをつけることによって、本の「権威」を高めようとしたのでしょう。

最近でも、中村真一郎が、ふるい物語の訳という体裁で、『老木に花の』(集英社、1998年)という作品を書きましたが、もちろん、作者は、それが自分のつくったフィクションであることをわからせる記述を、作品の中に残しています。そうした「遊びごころ」ならばそれはそれでおもしろいのですが、『書経』の場合は、そうほほえましいものではありません。そこにはきっと、ドロドロした、名誉をかけた争いがあったのでしょう。そういうのは、願い下げにしたいものです。