知と力

中村邦光さんの『江戸科学史話』(創風社、2007年)です。
著者は、江戸時代の日本の科学は、決して一路前進というものではなく、停滞の時期があったと論証しています。江戸時代の中でも、18世紀の中ごろには、自然科学はかえって停滞していたというのです。
科学の場合、文学や哲学とちがって、先駆者が少数派でもそうした考えを持っていればいい(たとえば、小林多喜二の思想は、1930年代には弾圧の対象で、当時の社会に広く受け入れられていたわけではなかったのですが、だからといって、小林多喜二がそうした思想を持っていたことは、当然無意味ではないですね)というようなことはないのだと、著者はいいます。
一部の人が、「正しい」知識や認識をもっていても、それが社会に共有されなければ、意味がないというのです。
たとえば、円周率も、17世紀には、3.16ぐらいの値だと思われていたのが、その後、3.14というほぼ正確な数値を出せる認識まで達していたのに、その後逆に、ふたたび3.16のレベルにもどってしまったのだというのです。
自然科学の認識を、常識として共有するには、それにふさわしい世の中のありかたが必要なのですね。それは、実は文学の世界でも、似た面があるのかもしれません。