観察力

『北槎聞略』(岩波文庫、亀井高孝校訂、1990年、親本は1965年)です。
18世紀末、日本からロシアに漂流した大黒屋光太夫が帰国したとき、幕府の命をうけて、当時蘭学者として名の知れていた桂川甫周が光太夫から聞き書きした内容をまとめたものです。当時は幕府の内部資料として扱われ、秘密文書扱いであったとか。
太夫の観察は、当時のロシア社会のすみずみに及んでいます。生活・信仰からはじまって、物産やことばまで、よくもこれだけのことを記憶していたものだと思います。今のアリューシャン諸島まで流され、そこからカムチャツカを経てオホーツク海をわたって、シベリア本土へ。そこからさらにサンクトペテルスブルグまで行き、日本への帰還を願うのです。その間にも、一緒に漂流した仲間が次々と亡くなっていく。そうした中での、行動です。
それだけの意欲と努力、それにロシア社会を見る力、そうしたものを、当時の日本人の良質な部分は持っていたことは、知っておかなければならないのでしょう。

太夫の仲間の1人が、現地で病にかかります。周囲をみると、ロシア正教に帰依していない人は、死んでも牛馬のごとく扱われるという状況をみて、彼は、もう長くはないと考え、ロシア正教の信徒となります。ところが、病気が治ってしまったので、それが逆に禍して、日本への帰国がかなわなかったというエピソードがありました。当時の日本は、キリスト教徒になった日本人の帰国は認めていなかったのです。宗教のもつ難しさが、ここにあります。