ひさしぶり

浅尾大輔さんの「ブルーシート」(『小説トリッパー』春号)です。
浅尾さんの小説は、たしか『学習の友』に載せた、「チェレンコフの光」以来ではなかったでしょうか。すると、かれこれ2年たつことになります。
最近は、『ロスジェネ』の仕事や、各地での講演が大変なようで、小説にはなかなか手がつけられなかったようですが、久しぶりの作品です。
安心したのは、文章が、浅尾さんの小説の文章だったということです。浅尾さんの文章は、息継ぎなしでずっと水面下ぎりぎりをすすんでいるような、緊張感を強いるものなのですが、その特徴は、この作品でも生きています。
また、心を病む男とか、登場人物とは直接かかわりのない殺人事件とか、そうした現代の危うさをとらえる視点も、健在です。
その上で、考えていきたいのですが、主人公の永井宏は、高卒である電気設備会社に正社員として勤め、10年余りをその会社で過ごします。しかし、後輩の女性社員の、ゆう子が社長にセクハラの被害にあっていることを抗議したために、「自己都合」の退職を余儀なくされます。そして、派遣会社に登録し、さまざまな職につきながら、いまは四つ葉自動車の生産ラインにはいることができたのです。
その彼が、派遣切りにあうのですが、病気の母親と愛知県の病院に入院している心を病んだ兄とがいて、主人公の生活は不安と常に隣り合わせです。10年あまりの正社員としてのキャリアや、そこで積み重ねたものは、彼にはその後の生活のよりどころとなるものがなかったということです。
その「10年」が、浅尾さんの作品では、少し『重み』が感じられません。何か、学校を出て、最初から、または正社員としてのキャリアが3年くらいで、派遣の働き方を余儀なくされたような感じがするのです。もちろん、今の時代、「10年」勤めても、それが人間関係でも、技術的にも、何の蓄積にもならないことは事実でしょう。けれども、病気の家族を抱えていたとはいえ、ゆう子さん以外に、最初の会社の中で主人公が人間関係を作るに足る人物に出会えないのだとしたら、そこへの目配りがもう少し必要だったのではないかと思います。
そこが少しはっきりしないので、最後の場面での、主人公がホームレスやひきこもりの人たちに寄せる連帯感が、主人公の考えというより、作者の願望がそのまま出てきたような感じになってしまい、ちょっと浮き上がっているような印象を与えるのが、作品としては損をしているようにも思えます。