ヒント

川上武『流離の革命家』(勁草書房、1976年)です。
東京帝国大学助教授からドイツに留学、そこで「左傾」して、ソ連に亡命、スターリンの犠牲になった、国崎定洞(1894−1937)の生涯を、いろいろな人への聞き書きや、資料を使って追跡したものです。
国崎は、社会衛生学を修めることを主としてドイツに留学したのですが、そこでドイツ共産党の活動に参加し、現地の日本人たちのなかで活動もしていたようです。そのため、ナチスが政権をとろうとする段階で、日本への帰国もできず、結局ソビエトロシアへの亡命というみちを選んだのだということです。当時のスターリン体制のもとでは、外国から来た人たちは、多くの苦難をへたのは、杉本良吉が樺太で越境したところ、スパイだとみなされたとか、野坂参三が山本懸蔵を「告発」したとか、いやな話ばかりなのですが、国崎もそういう被害者のひとりであったといえます。

さて、実は、ベルリンで活動していた国崎たちをモデルにして、藤森成吉が小説を書いていたのだそうです。それは、『改造』の1931年10月号に掲載されたということですが、タイトルが、なんと「転換時代」だというのです。
ご存知の方も多いでしょうが、1933年、小林多喜二が殺された後、『中央公論』誌は預かっていた多喜二の小説を発表します。多喜二はその作品に「党生活者」というタイトルを与えていたのですが、当然、当時の状況ではそのままのタイトルは選べません。そこで、編集部は、「転換時代」という題で発表にふみきったのです。全集の解題(1982年)によれば、このタイトルは「編集者と作家同盟の貴司山治立野信之との協議によるもの」なのだそうですが、このタイトルが選択されたのには、この藤森作品が脳裏をかすめたのかもしれません。また、藤森作品の記憶があれば、藤森作品が在ベルリンの左翼日本人たちの活動を描いたものであることを考え、日本東京での運動を描いた「党生活者」に、日本での運動の一場面が描かれていることを、読者もすぐに了解できるものだったのかもしれません。