柳の下かもしれないが

蟹工船』『セメント樽の中の手紙』と、〈ワーキングプア〉という側面からプロレタリア文学の作品が刊行されていますが、こんどは、主婦の友社から徳永直の『太陽のない街』が文庫判で刊行されました。
底本は戦旗社版(1929年)で、その点では、日本近代文学館がだした復刻版以来の、初版を底本にしたものということになります。それを現代表記にしたというわけで、伏字がそのままというのが、本文としての特徴になるでしょう。戦後、作者は、いくつかの伏字を起こしています。岩波文庫版(1950年)が、戦後版の定本的なものといえるのでしょうが、(旧字旧かなですし)、そこと比較するとおもしろいことになるのかもしれません。
たとえば、冒頭の場面で、高等師範(のちの教育大)を訪れる皇族が、初版では「××宮」と伏字になっています。岩波文庫では「摂政宮」と、これが昭和天皇であることが明示されているのですが、今回の主婦の友社版では、初版どおり、「××宮」と伏字のままにしています。こうしたところはほかにもあるようです。
1933年に死んだ小林多喜二や、1945年に死んだ葉山嘉樹の場合(考えると、多喜二は警察で拷問されて死に、葉山は〈満洲〉から引き揚げる中途で死ぬという、いずれも大日本帝国の犠牲になったわけですね)は、もう著作権がきれていますが、徳永直は1958年が没年ですので、今年の12月31日までは著作権が残っています。ですから、この本が売れれば、著作権継承者であるご子息の光一さんにも、いくばくかの利益がもたらされるということにもなります。そういうわけでいうのではありませんが、この本が、ほかの作品に負けずに評判になるといいと思います。もちろん、活劇調が過度なところなど、いろいろと議論もあるでしょうが、そこが徳永直らしいともいえるのかもしれません。