結果責任

昨日書くつもりだったのは、藤木久志さんの『天下統一と朝鮮侵略』(講談社学術文庫、2005年、親本は1975年)だったのです。
これは、一向一揆との対決の中で、織豊政権がいかに力をつけていったのか、またそれが、最初からもっていた侵略性について論じています。
そこには、なかなか世間ではあまり知られていない、各地での織豊政権の支配構造への反発がしるされていて、奥州での一揆や、朝鮮侵略のときの九州で起きた一揆とか、そういう、自己の存在を賭けたようなたたかいが、全国のいろいろなところにあったことが知れます。
越前では、一向門徒一揆が、朝倉勢を追いつめていたにもかかわらず、加賀から派遣された「指導者」が、結局内部対立をうみだし、最終的には一揆が壊滅していくような、複雑な状況も生まれていました。
こうしたたたかいは、結局は敗れていくのですが、こうした一揆のひとたちに、「あなたがたは、結局は織豊政権に敗れて、検地支配を許したのだから、そうした結果にも責任をとるべきだ」といえるのでしょうか。20世紀前半の日本において、戦争に反対した人たちに対して、こうした「結果責任」を問う意見がありますが、そのひとたちに聞いてみたいものです。

こういう本を読むと、大河ドラマで信長や秀吉を「英雄」のように描くのはどうかとも思いたくなります。