内への視線と外への把握

黒田日出男さんの『絵画史料で歴史を読む』(ちくま学芸文庫、2007年増補版、親本は2004年)です。
絵巻物などの絵画を史料として、そこから読み取れることを論じています。伝頼朝像の絵が、内容と形式から足利直義ではないかという推論をしたり、一遍聖絵に描かれた富士川の舟橋から、鎌倉幕府の政策を読み取ったり、とさまざまな新発見が語られています。
そういう解釈を可能にするだけの、絵の描き方があるわけで、洛中洛外図屏風の、内裏への荷物の運び込みを将軍家からの入内の姿と読み取ることができたのも、そうした個々の事物への、絵師の注目のあらわれといってよいのでしょう。
ところが、この本に、吉備大臣入唐絵巻に描かれる「中国」の姿は、ちっともリアルではありません。そこに描かれている状況は、日本とさほど変わりはないのです。「浜松中納言物語」での中国の描写がちっとも中国にみえないのと同じように、当時の貴族社会の、外国への無知のあらわれなのでしょう。
異国を「鬼」のすみかと認識してしまうのは、最近でも「鬼畜米英」なることばが平然と使われたように、日本人(和人)の悪い癖なのでしょうが、それをどのように考えていくのかが、これから問われるのでしょう。