定義

ドストエフスキーの『鰐』(沼野充義編、講談社文芸文庫)です。
「鰐」といえば、かつて森鴎外が翻訳して『諸国物語』に収録していて、ずっと昔のことですが、NHK-FMの夜の朗読番組で、鴎外翻訳集をやったときに、「病院横丁の殺人犯」などともに朗読されていたのを覚えています。そのとき、ドストエフスキーにこんな人を食った(文字通りですね)作品があったのかと、おどろいて詳しい人に尋ねたこともありました。
さて、この作品集、「ユーモア小説集」というサブタイトルがついているのですが、「ユーモア」という表現には、現実を肯定するというイメージがどうしてもつきまとうのです。「おもしろさ」という点でいえば、「鰐」の場合が典型的なのではないかとも思うのですが、自分が見世物になっているにもかかわらず、それを自分の意見を世に広めるきっかけになるだろうと夢想している主人公は、決して作者から肯定的にとらえられているわけではありません。そこにおもしろさが生じるわけですから、これは「風刺」というべきではないでしょうか。
「風刺」ということばが流行せず、なんでも「ユーモア」で片付けられるのは、それはどうかなとも思うのです。今までのド氏のイメージを戦略的に崩していくという作戦で、あえてこのことばを選んだのだろうとは推測できるのですが。
でも、「鰐」以外の作品はあまり楽しくは読めません。風刺はわからなくもないのですが、これがド氏ではなく、これらの作品を遺しただけの作家のものだったら、単独で評価するには弱いもののように思えます。