濾過

川村湊さんの『牛頭天王蘇民将来伝説』(作品社)です。
京都祇園祭で有名な八坂神社の信仰のねっこにある牛頭天王や、それと関連する蘇民将来の厄除けのありかたをきっかけに、日本の精神世界について考えようとしています。
明治の廃仏毀釈以来の、神道派の巻き返しは、教育の分野にも及んでいて、わたしたちが習う日本の神話は、ほとんどすべてが記紀のものばかりなのが現実です。そういう形で、いわばフィルタリングされたものしか簡単には読めないようになっている(研究する方が少ないのも事実だと思います)わけで、最近〈中世神話〉への注目がたかまっている(前に山本ひろ子さんの『異神』についてここで書いたことがありました)なかで、こうした記紀神話のわくぐみにはいらない世界を知ることは大切なのだと思います。
それは、明治日本がいかにそれ以前の伝統から手を切ろうとしたのか、そして天皇中心の世界観をひとびとに植えつけようとしたのかということにもつながります。
京都の清水寺坂上田村麻呂が鎮魂のために建立したということらしい(以前、娘が境内にあるアテルイの鎮魂碑を写真にとってきていました)のですが、こうした、敗者をも(たたりを恐れるという側面はあるでしょうが)まつるという伝統は、「靖国」の思想の対極にあるわけで、その点からも、こうした世界は水面下に沈められなければならなかったのでしょう。