生活の中から

石母田正の『歴史と民族の発見』(平凡社ライブラリー、2003年、親本は1952年)です。
網野善彦が亡くなった後で、赤坂憲雄さんが『追悼記録 網野善彦』(洋泉社)を出したのですが、その中で、若いころの網野さんが、「国民的歴史学」の陣営からはずれたことが、いろいろな人の回想にありました。その、「国民的歴史学」の推進役であった、石母田さんの当時の著作なのです。

歴史学史上の細かいことはともかく、この中に収められたエッセイのなかに、「商人の妻」という文章があります。中国の話本『雨窓欹枕集』のなかの、ある商家をおそった悲劇の話を取り上げたものです。
ここで、石母田さんは、その商人の妻の造形に、典型的存在をみています。『金瓶梅』の登場人物が、当時の文人の手すさびのようなものであるのに対して、この『雨窓欹枕集』の人物には、当時の民衆の生活の中から生まれた、切実なものを看取しています。中国の文学では、士大夫たちの立場では詩が重要なもので、白話で書かれた話本など、文学以下のもののような扱いを受けてきたのですが、その中に、民衆のエネルギーがあらわれているというのです。

文学の典型という問題は、リアリズムとの関係で語られることが多いのですが、それが士大夫ではなく、民衆の中から生まれている(もちろん、それは士大夫の価値観から解放されているわけではありません)のだという指摘は、いまの文学を考えるときにも示唆するものがあるようにも思います。『民主文学』の文芸時評での北村隆志さんの指摘をそのまま受け入れるというわけにはいきませんが、リアリズムの源泉のありかに関しては、もっといろいろな観点から見ていく必要がありそうです。