語るに落ちる

16日の朝日新聞に、大江健三郎さんの文章が載っています。
その中で、大江さんは、「日本のカトリックの女性作家が渡嘉敷島の戦跡碑に刻ませた文章」を引いています。
こんな文章だそうです。
「翌二八日敵の手に掛るよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった」
さて、手榴弾は武器です。民間人が軍の許可なく持てるはずはありません。特に、皇軍は員数に厳しく、数が合わないだけで厳しく追求されたことは、軍隊経験を持つ人がよく語るところであります。
となると、かれらが手榴弾を持っていたことは、当然それは軍から支給されていたことになります。さらに、その使用は、軍当局が管理しなくてはなりません。そうでなければ、戦闘はできませんから。
この女性作家の人は、きっと「軍の命令ではなく自発的だった」と主張したいのだと思います。(たぶんあの方だろうと推測できますが)しかし、「手榴弾」のひとことで、その主張は崩れ落ちてしまうのです。
いくら否定したくても、真実は隠せません。