見たもの、見えなかったこと

ウィルフレッド・バーチェットの『ふたたび朝鮮で』(内山敏訳、紀伊国屋書店、1968年、原著も同年)です。
バーチェットといえば、岩波新書北ベトナムをレポートした『十七度線の北』がかつてはよく店頭に並んでいたものですが、オーストラリア出身の、東側の事情に詳しいジャーナリストとして、有名だった人です。
かれは、朝鮮戦争の休戦会談を、北側から取材していた経験があったので、ベトナムに米軍の介入が本格化した1967年に、北朝鮮を訪問して、そこでの見聞を、朝鮮戦争当時の回想とからめてルポをしています。
1967年とは微妙な年で、萩原遼さんの著作によれば、この年の5月に、朝鮮労働党の内部で政策転換が行なわれて、金日成が「武力統一」をめざす方向にシフトを変えたという時期にあたります。翌年には日本共産党の代表団が北朝鮮を訪問したが、会談が決裂して、それ以来朝鮮労働党日本共産党を敵視しはじめたという時期なのです。
さて、著者は、1967年の北朝鮮を訪問して、そこにあらわれた復興のしるしに満足しています。灌漑がすすんでいるのでもう飢饉や洪水はないだろうという著者の見通しが、現実でどうなったかは、周知の事実なので、著者の認識をわらうのは簡単です。しかし、ある面では、このときまでの北朝鮮が、1966年のサッカーのワールドカップでの活躍にみられるように、決して変なだけの国ではなかった側面ももっていたのだろうし、韓国のほうでも、朴正煕時代が最初からいい国だったわけでもないのは、これも今となってはわかっていることでしょう。
そういうふうに考えると、こうした本は、そのときにどう見られていたかを考える、貴重な文献かもしれません。その点では、巻頭に口絵写真があるのですが、著者が撮影したものがどのくらいあって、どこからが日本語版の訳者が提供をうけたものなのかがはっきりと記されていないというのは、残念なことです。
「闇」の部分はどうしてもあるのだろうし、ダレスが1950年6月に韓国を視察にきたのも事実なのだし、そういう南北ともにある「闇」の部分を、きちんと解明していかないと、わからないこともあるのだと思います。そこがはっきりしないと、日本国内の殺人事件の被害者が、「『拉致』の被害者だ」といわれてしまうようなあいまいな形になってしまうのですから。そういうあいまいさは、みんなを不幸にするのだと思います。