絶対的なものはないのか

イタロ・カルヴィーノ『くもの巣の小道』(米川良夫訳、ちくま文庫、親本は1990年)です。
カルヴィーノは、イタリアの作家で、この作品は1947年に出版されたそうです。
第2次世界大戦のとき、イタリアは最初に枢軸国から脱落して、1943年に連合国に降伏しました。すると、ドイツ軍がイタリアを占領してしまったというのです。それに対して、パルチザン闘争が組織され、作者もそこに加わったというのです。その体験が、この作品のベースになっています。
しかし、主人公は作者とは全く境遇のちがう少年なのです。彼の姉は、ドイツ軍兵士とねんごろの仲になっていて、作品の中ではドイツ側に情報を流しているようにとれる描かれ方をしています。主人公は、姉のところを訪れるドイツ兵のもっている拳銃を盗み、それを自分しかわからない場所に隠します。それが原因で、彼は牢獄に捕らえられ、そこで知り合ったパルチザン闘士とともに脱獄し、パルチザンの戦列に加わるのです。
そうした少年の眼から描かれるこの作品では、パルチザンに参加するおとなが、なぜたたかうのかが描かれていません。少年も、それを知ろうとはしませんし、おとなたちも彼に説明しようとはしません。少年にとっては、絶対的に正しいことなどないのです。
それは、作者のスタンスなのかもしれません。以前、『木のぼり男爵』を読んだときに、主人公のスタンスがよくわからないと感じて、そこに『ブリキの太鼓』との大きな相違点を感じ取ったことがあったのですが、そうしたカルヴィーノのすっきりしない側面は、このデビュー作にもあらわれているようです。作家にとっての第1作の持つ意味は、けっこう大きなものがあるようです。
もちろん、そうした「正義」への懐疑に正面からとりくんだ作品が、戦後すぐに書かれたことの意義はみておかなくてはいけません。そこに、当時のイタリアの状況もあったのでしょう。