流れをみきわめる

小倉芳彦さんの『逆流と順流』(研文出版、1978年)です。
この文集に収められた文章は、1960年代後半から70年代前半、いわゆる「文化大革命」時代のものがおおいのです。この時期は、学術文化の分野でも、今から考えると不思議なことがけっこうあって、この本のなかにも紹介されている、歴代正史(「二十四史」)の当時行なわれた、標点本(句読点をつけたもの)の出版の際にも、まえがき部分で、ゴシックで毛主席語録が引用され、正史を農民起義の視点から読み直せ、というようなことが書かれていました。
こうした状態を同時代として経験した研究者の方は、「新発見」(けっこう重要な発掘が当時行なわれています。たとえば、馬王堆もこの時代でした)のなかで、ていねいに対応していくことが求められたのでしょう。
そうした苦闘のあとを、この本の中にはみることができます。東方書店などの中国直輸入の本をあつかっているところで、日本人向けに書かれた法家思想を賞賛する本のなかで、李卓吾や王船山が紹介されていたり、李卓吾の『蔵書』や『焚書』の標点本が山と積まれていたことなども思い出しました。
この時期の中国訪問記として石川淳の「北京独吟」(岩波書店『前賢余韻』に収録)があって、これもおもしろく読んだものでしたが、当時の中国のすがたは、もっと考えるべきものがあったのかもしれません。