臣下の礼

棚橋光男さんの『後白河法皇』(講談社学術文庫、親本は1995年)です。
棚橋さんは、もともと書き下ろしで後白河論を書くつもりが、中途でなくなられたので、遺稿集のような感じでこの本が編まれたのだそうです。鎌倉から見た法皇像とはちがう、新しい論を展開するようなつもりがあったようです。
いろいろと新鮮な提起もあって、おもしろく読んだのですが、その中で、京都の地図を南を上にして収めています。そうすると、北のほうにある御所から、南にある河原の一帯や、六波羅や鳥羽、さらには水運を利用して大阪湾に出るところまで、京都を基点とした流通の状況もみてとれるというのです。
たしかに、地図が北を上にするというのは、約束事として私たちはみているのですが、そこには「天子は南面する」という意識もあるのかもしれません。大相撲の「正面」というのが、北側に設定されていて、天覧相撲などのときに、土俵入りが正面をむいて(つまり北を向いて臣下の礼をとる態勢)行なわれるのも、そこに関係するのかもしれません。
むかし、大宰府の政庁址にいったときに、ちょうど正午ちかかったので、太陽の南中がみごとに礎石の南北線と一致したもので、なるほどと思った記憶がありますが、たまにはそういうように、根本からとらえなおすことも必要かもしれませんね。