過去は甘美なものなのか

内輪の読書会、今回は絲山秋子の「沖で待つ」でした。
主人公と死んでしまう太さんとの関係は、たしかに労働を媒介とする成長であるにはちがいないのですが、それが現在の主人公とどうつながるのかということが問題なように感じます。作品の「現在」は、彼女がハードディスクをこわしてからしばらく時間が経過していて、こんどは浜松に異動になるというので、かつての五反田へ向かい、そこで幽霊に遭うという状態です。
そのとき、彼女は、会社の中でそれなりの地位になっているのではないでしょうか。そうした現在を忘れるかのように、新採用のときの、福岡での経験がよみがえってくる。太くんと共有した経験は、若かったかれらのものでしょうが、それを「現在」にひきずっていいのか。
そこが、この作品をすっきりしたものにしていない要因に思えるのです。