通じるものが

先週くらいに書いた、佐多稲子の手紙の本の中に、野口冨士男との往復書簡があります。一葉の「たけくらべ」の最後のほうの、美登利の変貌をどう解釈するかについての、稲子の意見を支持する内容です。
稲子は、その変貌を美登利が客をとらされたことと考え、それまでの研究者の初経説を批判しました。その当否はともかく、この説は決して稲子が初めてではなかったのです。きちんと書いたのは稲子が最初でしょうが、実はこういう記述を発見しました。
社会思想社の現代教養文庫のなかに、『東京の散歩道』という本があります。著者は窪川鶴次郎。稲子の元夫です。1964年の刊行です。
その中に、美登利の変化をこう書いてあるのです。「こういった世界にみられる水揚げといった言葉で行なわれる慣習を想像させずにはおかぬ」(200ページ)
こういう感覚を共有していたのですね。おもしろいものです。
そういえば、「三人冗語」でも、〈ひいき〉(幸田露伴だといわれています)が、「風呂場に加減見たりし母親」という記述があったのを思い出しました。トイレではないのですよね。