資本の蓄積

大げさなタイトルですが、河出の「現代中国文学」シリーズの中の茅盾の『子夜』です。
舞台は1930年の上海。民族資本家をめざす男が登場します。製糸工場を経営するのですが、なかなか労務管理も困難で、公債の投機に手を出して破滅していくのです。
剰余価値を取得していかないと資本の蓄積は困難で、剰余価値は労働によって生み出される(おそろしく雑な言い方ですみません)という観点から見ると、この小説に登場する資本家たちの薄さが目について、中国の資本家のおかれた状態の「悲惨」さが浮き上がってきます。そこを描いたことが、この作品の価値であろうと思いますが、創業期の資本主義においては、蓄積のためには勤倹さが必要なのかとも考えてしまいます。
江戸時代の日本でも、投機や商業取引で財をなした人がいますよね。紀伊国屋文左衛門だとか、淀屋辰五郎だとか、奢侈で名を売った人は、結局は没落していきます。三井や住友、鴻池のような、現代まで続く家は、そうした奢侈とは無縁だったでしょう。
『子夜』の登場人物が奢侈に走るというほどでもないのですが、中国の奢侈というと、日本人の想像を絶するようなものがあると、井波律子さんの本のどこかで読んだ覚えがあるのですが、そういうところも、中国の資本主義がうまく発展できずに、国民党政権が腐敗していったこととも関係するのかもしれません。
投機に走って破滅するというのは、今の日本でもありそうなことですからね。資本家のひとにとっても、『資本論』は必読の文献なのではないでしょうか。