設定変え

二葉亭全集から『平凡』です。1907年に新聞連載され、翌年単行本になったようです。
この作品は、一時期小説家として名を売った39歳の主人公が、自分の半生を反省したという設定です。志を抱いて上京したはずの主人公が、住みこんだ伯父の家で書生として使われるうちにそこの家の一人娘に来いごごろを抱くのですが、当然成就するわけもなく、娘さんは結婚して家を出ていきます。伯父も地方に赴任するので一人暮らしを始めるのですが、そうなるとお決まりの〈堕落〉へのみちをたどる、というように、明治期のそうした夢が崩れていく状況を諷刺した作品とはいえるのでしょう。
とはいえ、岩波文庫で昔読んだはずなのに、筋を全く覚えていなかったのです。全くというといいすぎかもしれませんが、主人公が小説家となっていたとは、完全に記憶の中から抜け落ちていました。最初の方で、最近の小説は牛の涎のようにだらだら書くのが流行だという趣旨のことを主人公が考える、というのはおぼろげに覚えていたのですが、それが小説家になった人物の意見だとすると、少し風向きがちがう。ひょっとして、主人公が小説家として名を売ったことがある、という設定は、連載中に作者が軌道修正したのではないか、主人公を〈堕落〉させるための手段だったのかとも思えてしまいます。
あと、だれかに、ゴンチャロフの『平凡物語』の筋を聞いたときに、二葉亭は「平凡」の題を、ここからとったのかと思ったこともあったのですが、それがどこなのか、そのうち、『平凡物語』を読んでみてから、考えてみたいと思います。