ばらさなくても

いま、チャンネル銀河というケーブル局で、中国でつくられた〈水滸伝〉のドラマをやっています。2011年につくられたものだそうで、なかなか手の込んだつくりで、展開もほぼ原作に近くなっています(さすがに、黒旋風が朱仝を梁山泊入りさせるために子どもを殺すところは、事故としていましたが)。
この前みたところは、108人の姓名を書いた天書が発見され、序列が決まるところだったのですが、その後、呉用公孫勝とが、黒旋風をなだめるために、『あの天書は自分たちが原案を作って、蕭譲と金大堅につくらせ、埋めたものだ』と種明かしをする場面がありました。もちろん、原作では本当に天から降ってきたもので、書かれた好漢たちの序列も、当事者たちは読めず、そこにいた道士が読み取って初めてみなが知ったということになっています。
たしかに、合理的に考えれば、誰かが天書をつくったに相違ないのですが、こうした形で種明かしをするのはどんなものでしょう。むかし、四人組時代に、水滸伝批判がおこなわれたとき、この天書出現の場面で、序列が投降した官軍の将軍が上位にいて、もともと町場の無頼の徒が下にあることを批判材料としていたことを思い出して、ひょっとして、ドラマの製作者たちのこころのなかに、当時の記憶が沈んでいたのではないかとも考えてしまいました。